NO.30 小正月
は歴史家ではおりませんが、1月14日から小正月と言っていたようだ。からという事は、オヤジから聞いていたことだ。昔は1月1日は元日であって、仕事の上では小正月から休みに入っいてたようです。一般的には正月飾りを納める行事として、どんと祭が行われています。会津地方では、塞ノ神と呼ばれ、各地域で行われているようです。
私は南相馬の小高区の生まれです、今でも南小高神楽保存会の会長をしております、南小高とは小高区の中心地で、おおよそ1000所帯を有する大字である。私が25歳のころ、年団活動の旗頭として、神楽を始めたのだ。大事なことは、それなりの人数がいないと、出来ないという事です。青年団活動としては持ってこいでした。当時は青年団活動は盛んに行われていました。当時神楽は20年ほど途だいていて、指導者がいなくなっていました。幸いなことに、昔々この地にこの神楽を指導した方は、三つの行政区に指導していました。私たちは毎日他の行政区に通い、一か月足らずに何とか覚えました。それは壮絶なものでした。神楽とは、踊りを舞う頭となる人、後ろ被り二人、太鼓一人、笛二人、これで六人この他、前で口上を述べる物とで行われる。
実際の舞いはこの様におこなわれる、この神楽は座敷神楽であって、東京などでテレビ等で見られる神楽は、門付け獅子舞と呼ばれるもので、私達の獅子舞とは違う物であるが、同じように皇大神宮を祭っております。その家に着くと祭壇を作ります。三宝にお札を用意して、挨拶をすると、笛太鼓のお囃子をしている間に、獅子を舞う頭が準備をします、これを曾我と呼んでおります。準備中はお囃子尾を続け、準備が整うタイミングで幕舞に入ります。幕舞とは三人が入り部屋の四方を固めてまいります、次いで幣束舞になり同じように、部屋の四方をお祓いします。次いで鈴舞になります、これは獅子が歓びを表す舞である。最後に散らしに泣けます、これは怒りの舞いになります、獅子頭の大きな口を、激しくかみ合わせる事で、大きな音がします。舞の途中で獅子は前にとどまり、「とどまりましては、伊勢天照皇大神宮、御あとは○○様の悪魔払い」といいさらに四方を払って終わりになります。又曾我のお囃子の中片付けになります。一連の事が終わるまで20分位かかります、ご祝儀をいただき接待を受けます。多い年は早朝より夜遅くまで、又は翌日まで続くこともありました。実際の映像はユーチューブにて、南小高の神楽で検索すれば見られると思います。
震災後三年ほど続けましたが、現在は後継者が避難中により休止中です。